信念的な囲碁観の応接

高野圭介 vs 三子 後藤文麿
          記録 中田良知

2007.10.17 於 神田 井原遊邸
93手完 白中押し勝ち






「三子なら打てる!」と思ったことが負けだった

                        後藤文麿・自戦感想


高野さんとのこの前の対局は20年くらい前です。
さて、どんな展開になりますか?



立ち上がり、白3と挟まれて、いろいろな選択があるが、
「この一手!」と力強くケイマに掛けた。
私の気合いを避けるように、白は外して右上へ。
高野さんはさすがだ。



局後の検討で、黒10は左上11と、取り切ったほうが良いとのこと。
その方が明快だった。

白11。「これは何だ!」  私は5分ぐらい長考して、
「左上の石を取らないように、外から包み囲うようにすれば、
形勢は良くなる」と思って、黒12コスんだ。
白25まで、私は勝ちを確信した。



黒26は左下を一間ジマリの方が良かったとのこと。

その後、白35ツケに黒36。白27に黒38と、大悪手を二手続けて打ってしまった。
黒36は43ヒキだった。



それ以降は、精神的に、もう崩れてしまった。

この碁は「三子なら打てる!」と初めに思ったことが、
既に私の負けだったかも知れない・・・

しかし、やっぱり高野さんは強い!




信念的な囲碁観の応接

高野圭介 自戦記

東大・囲碁部
後藤さんはは碁吉会との関わりはとても深いものがある。」

かって1990年に、碁吉憲章を謳い挙げたとき、
草案の主軸として、鋭意取り組んでいただいたのが後藤さんであった。

ご子息の文郷さんはかって、東大・囲碁部の主将で
名を全国に馳せておられたのでも、頷けられる。

不思議なご縁がある。


真ん中が金沢明子さん

今、碁吉会の常連として顔を見せておられる
金沢明子さんのご子息、光洋さんが文郷さんと仲良しで、
東大・囲碁部のマネージャー
であったのが分かった。

棋譜が残る碁
後藤さんとは10年も前からお会いしてなかった。
従って、棋譜が残る碁は最初である。

信念的な囲碁観
譜の進行に、後藤さんと私との見解の違いが随所にあった。
面白いことに、両者とも信念的な囲碁観の基に打っていたのだ